アメリカ就活日記~Microsoft US本社からオファーをもらうまで~
ピンクのひよこ(@PinkChickJP)です。
帰国子女でもなく、留学経験もない私がマイクロソフトコーポレーションからオファーをもらえるまでの道のりをシェアすることで、外資系企業の海外転籍を考えている方やアメリカで就活をされている方の参考になればと思い、このブログを書いています。
私の場合は日本マイクロソフトからマイクロソフトコーポレーションへの転籍のため、「同じ会社なんだから人事異動でしょ?」とよく言われますが、違います。 広義の”社内異動”ではありますが、国を越えての異動は一言で表すと”社内転職”です。 家族の転勤に帯同する形で渡米したからと言って、特に人事が助けてくれるわけでもなく、会社から異動の便宜を図ってもらえるわけでもありません。 社外の候補者と同じ選考プロセスを経て採用が決まる、フェアな実力勝負です。(実際にいくつかのポジションで社外の候補者に負けて面接落ちました。)
以下、終わったから話せる、オファーをもらうまでの苦労話をまとめてみたいと思います。
*あくまでも私個人の経験及び見解です。一例に過ぎないのでご参考までに。
アメリカ就職の背景
双子を出産して5ヶ月。
早いのか遅いのか分かりませんが、妊娠中に移住していたシアトルで職場復帰を目指すことに決めました。
夫である黄色ひよこさんのアメリカ移住に帯同したので、私が日本へ戻るとなった場合は家族バラバラ、生後間もない双子を連れたワンオペ育児になることを意味します。
もちろん双子は可愛いし、人生の一定期間を100%育児に費やせたことは幸せです。
それでも双子のワンオペ育児は現実的でないし、日本で築いたキャリアを継続したい気持ちもあったので「渡米を機に仕事辞めれてラッキー」とは思えませんでした。
当時の日本の上司と、上司の上司であるスキップマネージャーまで相談しましたが、時差や法律、組織の予算などの問題で日本法人所属のままアメリカからフルリモートで働くのは難しいと言われていました。
そういうわけで、妊娠中からアメリカ就職は視野に入れていたものの、いざ就活を始めるとなると尻込みしていました。
長年見て見ぬふりをしてきた自分の英語コンプレックスと向き合わなくてはならなくなったためです。
日本では複数の外資系企業で働きましたが、英語に困る場面はほとんどありませんでした。
TOEIC900点以上ならOKとか、ネイティブが日本人相手に合わせて話してくれるとか、日本で英語を使う場面での期待値が低かったのだと今なら分かります。ちょっと英語ができると「あなた英語上手だね!」って褒められるとか。
私の英語は日本の学校教育だけで、試験英語は得意でしたが、渡米後に日常生活やビジネスで実際に使われる表現が全然分からず落ち込みました。そもそも周りの会話について行けないし、マックのドライブスルーやスタバのカウンターで欲しいものも注文できませんでした。
渡米直後の隔離期間に滞在したホテルでは、「フォークを2本ください」と頼んだら枕を2つ渡されるという悲惨な出来事もありました。
「Huh?」と聞き返されるのが怖くて、電話を受けたり病院を受診するのもどんどん嫌になって逃げるようになりました。
長くなりましたが、そんな英語恐怖症を抱えながらも重い腰を上げて就活を本格化した理由を以下にまとめます。
(1)金銭面
夫の収入で家族4人の生活はできますが、どんなにお金があったとしても私は自分が稼いだお金で好きな物を好きな時に買いたいのだと気付きました。
社会人になってから自分の収入が途絶えたこともなかったため、節約したりお金を使うことを我慢するよりも、収入を増やす努力をする方が自分には向いてると思いました。
(2)メンタル面
自立してない、という状態が苦しかったです。
自分名義のクレカがない、ローンも組めない、家や車はもちろん携帯やWiFiなど生活に必要な契約すらできない。そして何より、もし双子に何かあっても病院や学校や街中で親として十分に抗議する・交渉する・責任を取るための度胸や英語力が足りないなど。
いつも夫や周りの人達に助けてもらうばかりなので、「私も人を助けたり役に立てる側の人間になりたい、もっと強くなりたい」と思うようになりました。
(3)生活面
人生初めての海外生活、双子の妊娠とアメリカでの出産、家の購入と引越し。
慣れない土地で産後の回復期に、これらの凝縮されたライフイベントを消化するだけでも一苦労で余裕がありませんでした。
産後5ヶ月経ってようやく育児にも慣れ、心と身体が回復してきたと感じるようになりました。自分のコンディションと生活の立ち上げなくしては、他のことを考えたり始めたりすることもできませんでした。
(4)キャリア面
日本でせっかく築いたキャリアが途絶えるのも悲しかったです。日本なら他企業からオファーもらえるのに、日本ならこんなに苦労しないのに、とどんどんネガティブ思考になっていました。
同じ境遇の方や駐妻さん/駐夫さんのお話を聞く中で、「家族として見た時に自分ができることをやるしかない」とアメリカ就職の覚悟を決めました。仲の良い友人が”チームプレイ”と表現してくれたのがスッと腑に落ちました。
「こんな風になりたい」と思えるロールモデルのような友人と出会えたことも大きかったです。目標や自分が目指す将来像が明確になりました。
アメリカ就活の流れ
私の日本でのキャリアは人事9:エンジニア1です。
*キャリアチェンジの詳細について、興味のある方はこちらをご覧ください。
初めての海外生活で英語もネイティブではない私にとって、経験が浅くキャッチアップ途中のエンジニア職を続けるよりも、長く働いてきた人事の領域の方がスキルやキャッチアップのしやすさという観点で自信を持てる気がしていました。
(1)事前準備
主に情報収集と心の準備のため、渡米後に以下を行いました。
就労許可申請
黄色ひよこさんの配偶者ビザで渡米していたため、Employment Authorization Document (EAD)があればアメリカで職種の制限なく働くことが可能でした。黄色ひよこさんのビザの一部として手続きしてもらえていたため、他国からリロケーションしてくる候補者に比べれば圧倒的に有利なようです。取得するまでの予測期間が8〜13ヶ月と不透明なのが不安でしたが、8ヶ月で無事に許可されました。
キャリアセミナー/コーチング
必要ない人もいると思いますが、私の場合は人と話す中で自分の思考を整理したり新たな気づきを得られることが多いため、妊娠中にキャリアセミナー3回、コーチング5回(英語2回、日本語3回)ほどお世話になりました。
英語のブラッシュアップ
少しでも自信がつけばと思い、ELSA、Duolingo、ロゼッタストーンなどの思いつく限りアプリで英語の発音や英会話の練習をしました。黄色ひよこさんに家でも英語で話してもらうようお願いしたりしました。気が進まない時も多かったですが、生身の人間となるべく英語で話す機会を持つ方が効率良かったと思います。
資格取得
アメリカでの就業経験がないため、再度人事のキャリアに戻ることも踏まえ、英語のブラッシュアップも兼ねて何か資格を取っておきたいと思いました。グローバルで活躍する人事の方のLinkedinを見たり、過去に知り合った人事の方の経歴を思い出したりして何の資格を取るか検討しました。結果、MBTI®︎という個人の成長や人間関係作りに役立つ性格検査の資格試験に合格しました。毎朝7時から午後3時までの集中講座に加え、膨大な宿題が深夜1時まで終わらないスパルタ生活。クラスで英語非ネイティブは私だけで、泣きながら試験対策をしてました。
レジュメのアップデート
最新の経歴にするべく、育休前の実績を棚卸しして英語の表現もよりboldにしました。とにかくインパクト強めで採用担当マネージャーに読んでもらえるレジュメにしないと話にならないと聞いていたので、嘘は書いてませんが日本での感覚と比べると職務要約や実績の記載を大胆な書き方にしました。
(2) 応募
実際の応募に際しては、以下の通り進めました。
ポジション検索
マイクロソフトが第一志望でしたが、決め打ちは不安なので他社も見ていました。ポジションが掲載されるマイクロソフトのキャリアサイトは毎週チェックしましたし、他にもLinkedinでジョブ検索したり、現地で働いている友人にリファラル(社員紹介)をお願いするかも、と詳しい話を聞いたりしていました。
年間を通してどの時期にどのようなポジションがオープンになるかは決まっていません。キャリアサイトに新着ポジションが出たらアラートを受け取るようにしたり、今まで考えていなかったポジションも幅広く見るようにしました。
カジュアル面談
オープンポジションの有無に関わらず、興味のある分野や人から紹介してもらったポジションの採用担当マネージャーには応募前後に必ずカジュアル面談をお願いしました。ポジションの理解を深め、期待値を正確に理解した上で面接に臨むためです。同じ社内個別にお願いしても返信がなかったりもしましたが、その場合はOutlookのカレンダーを見て会議のスケジュールを直接送ったりしました。厚かましいかもと最初は躊躇していましたが、忙しい人が多いので直接スケジュールを送る方がいいよとアドバイスをもらってからは意外と承諾してもらえました。
カジュアル面談(informational)と言いつつ、そこで採用担当マネージャーからの評価は決まると思った方がいいです。評価が良ければ、採用担当マネージャーとの面接プロセスをスキップできますし、悪ければ普通に不合格になります。
ポジション応募
応募可能なポジション数に制限はないため、キーワード検索をして気になったポジションは全て応募しました。
キャリアサイトのマイページにあるアクションセンターで、自分が応募したポジションの進捗を確認できるようになっています。数ヶ月アップデートがないことも多々ありました。採用担当マネージャーの欄に名前が書かれているので個別にメッセージを送ったりもしましたが、返信をもらえないことも多かったです。次項の内容とも繋がりますが、何万件とある応募に埋もれてしまうことが原因のようです。
リファラル (社員紹介)
とにかくコネクションが必要ということを嫌というほど身に沁みて感じました。
まずはキャリアサイトから直接オープンポジションに応募してみましたが、全て書類選考不合格の自動通知メールが届きました。後から知ったのですが、何のツテもなく直接応募することを”cold apply”と呼ぶそうで、他に候補者がいないとか専門性の高いニッチな領域とか、非常に限られた場合にしか面接にすら呼んでもらえないようです。
私の場合は、2年半前にシアトル出張で作ったコネクションが繋がって採用の話を相談できる人が数人いました。当時から知り合った人には「いつかはアメリカのポジションに挑戦してみたい」と働く意志を伝えていたので、個別に連絡をして1on1を依頼しました。そうすると「このポジションならマッチしそう」とか「この人に話を聞いてみるといいよ」といったアドバイスや紹介をしてもらえるようになりました。
採用部署の人を知ってる誰かからリファーしてもらえなければ、書類選考が通らず面接すら受けられないという現実を知りました。
(3) 面接
この段階で希望していた人事系のポジションは全て不合格になっていました。経験のあるリクルーターだけでなく、ダイバーシティー担当、労務担当、人事システム担当など興味を持ったポジションがあれば片っ端から応募しましたが、いずれもシステムから不採用通知メール(お祈りメール)が届きました。2つのポジションで採用担当マネージャーとカジュアル面談の機会をもらうことができましたが、1つはアメリカでの就業経験がないという理由で不合格、もう1つは非常に好感触で盛り上がり、面談の最後には面接に招待すると言われたにも関わらず、音信不通になりシステムから不合格通知メールが届きました。少し人間不信になりました・・。
よって面接に進むことができたのは、オファーをもらえたポジションを含めて以下の2つでした。
パートナーディベロップメントマネージャー
リクルーター時代に私が担当していたXboxチームの採用担当マネージャーが、一緒に仕事をしているチームで未経験でも検討可能なポジションがオープンになったからチャレンジしてみないかと連絡をくれました。Xboxは個人的に大好きだし、ゲーミングの分野に新しくキャリアチェンジするのも楽しそうだし、 アメリカでの就業経験を積めるし、何より直接紹介してもらえたので面接を受けることが確約されていたので、迷わず応募しました。
アメリカ、ヨーロッパ、アジアの面接官と5回の面接が 2日間に分かれて組まれました。早朝から夕方まで5時間の英語面接に疲弊しました。私にとっては未経験の分野だったので、情報収集や想定質問など十分に準備して臨みましたが、結果は不合格となりました。システムからの不合格通知メールを受信した直後、採用担当マネージャーから「今回は競合他社からの外部候補者が経験者だったので採用になったが、君のイニシアティブやスキルは素晴らしいのでぜひ今後も繋がって欲しい。あわよくば次回オープンポジションが出た時には最初に声をかけてもいいか?」と個別にフォローアップの連絡をもらいました。かなり準備していたのに不合格となり、非常にショックを受けていたのですが、この連絡をもらって心が救われました。結果は不合格でしたが、今までに受けた面接の中で最高のCandidate Experienceだったと思います。
サポートエンジニア
日本で担当していたマイクロソフト製品をサポートするエンジニアと同じポジションが、アメリカでもオープンになりました。もちろんお客様は日本ではなくアメリカになり、言語も日本語ではなく英語になります。アメリカ本社の現地採用となるので、そのまま人事異動というわけにはいかず、 社外の候補者と同じ選考プロセスを経る必要がありました。採用担当マネージャーと、チームリーダーとの面接が組まれ、その場で「来週から働ける?」と冗談で聞かれました。
社内異動のルールで、本人が合意した場合には直近のポジションでの評価も面接結果で考慮されます。異動時にも評価が関わるため、マネージャーとの良好な関係は不可欠です。私は社会人になってから、新しい上司とは1on1を行い、上司自身とチームのOKR/KPIを確認し、自分がそれにどう貢献できるかを話しています。上司のマネジメントスタイルを尊重し、一緒に働きやすいと思われる環境を作る努力もしてきたつもりです。他のチームメンバーや上司の上司であるスキップマネージャーにも、機会があれば上司の良いフィードバックを伝えるようにしていました。そのおかげか、 社会人になってから苦手な上司は何人かいましたが、最低最悪な評価をつけられたことはありませんでした。今回も日本での上司が非常に良いフィードバックをしてくれたようで、スムーズにアメリカ本社でのオファーを進めてもらうことができ、感謝しています。
他のポジションでの苦い経験があるので、正式なオファーをもらうまでは安心できませんでしたが、採用担当マネージャーがこまめに状況のアップデートをしてくれていたのでオファーをもらえる日を首を長くして待っていました。約1ヵ月後にオファーレター(採用内定通知書)が届きました。
(4) オファー
システムからオファーレターをダウンロードし、承諾する場合は電子署名する形式でした。社内異動の扱いになるため、キャリアレベル(職位)や給与は日本からアメリカの基準に自動調整され、他企業への転職時のような条件交渉をするためのオファー面談のような機会はありませんでした。
今回は私にとってアメリカで初めての就職となるため、条件面よりも就業経験を積むことが重要でした。特に質問や条件交渉をすることなくオファーを承諾しました。
アメリカ就活の振り返り
「採用は水物である」と言われるくらい転職市場は変化の激しいマーケットです。年間を通じて様々なポジションがオープンになるので、実際に就職する時期よりもかなり早めに情報収集やコネクションを作る時間を確保した方が良いと思います。
また、なかなかオファーをもらえないと非常に落ち込んで日本に帰りたくなるのですが、あるポジションで不合格になっても、自分の人格や人間性を否定されたのではなく、「今回はお互いのニーズがマッチしなかっただけ」と思うようにしました。私の今回のアメリカ就活での学びは、以下3点です。
(1) Comfort zoneを抜け出す
めちゃくちゃつらいですが、これしか成長する方法はないのだと思います。自分が自分の可能性を信じることができないと、誰も自分を信じることができないと思いました。
(2) 人との繋がりを大切に
コネクションがないと書類選考が通らず、面接すら受けられません。今回は2年半前のシアトル出張やリクルーター時代に作ったコネクション、そして直近のポジションでの上司との関係性がプラスに働いてオファーをもらうことができました。私も誰かに相談された時に何らかの力になれるよう、頑張りたいと思います。
(3)パートナーや就活仲間の存在
アメリカ就活で苦労している友人やTwitterで知り合った人達の存在はとても大きかったです。就活の経験についてだけでなく、 同じように悩んだり頑張ったりしている仲間がいると思うと、心が折れそうな時に精神的にも、気持ちが励まされました。
超遠距離結婚という選択
2024/2/17追記
シアトルで夫と双子と4人で過ごす時間は、目まぐるしくも充実していた日々でした。そんな時、AKKODiSコンサルティング(以下AKKODiS)から採用担当としてのオファーがありました。
まだ1歳になったばかりの双子を連れて、生活の拠点を日本に移すことに迷いと不安を感じましたが、私がこれまで日本とアメリカ積み重ねてきた人事とエンジニアという特異なキャリアや多様な経験を高く評価していただき、「日本を、課題解決先進国に。」というビジョン実現に向けて、私自身も新しい経験ができると確信したので、2023年6月から採用部門にて「Change Lead」というポジションで、採用の変革に取り組むことを決意しました。
夫婦の絆
それと同時に、 お互いのキャリアを尊重する結婚契約書通り、「超遠距離結婚」という選択を全面的に受け入れてサポートしてくれた夫には感謝しかありません。夫はフッ軽なので、シアトルと日本は直行便「一駅」だから大丈夫だと言っていました。その言葉通り、双子が共に発熱し、入社式に出られないと夫に連絡した30分後、フライトを手配して翌日に帰国して助けてくれました。
部署間を超えて人財とイノベーションの創出を推進する中で、新しい事業のアイデアが浮かび、 現在はサービスオーナーとして新規事業の責任者を任せてもらっています。
おそらく一般的な企業であれば採用部門の私が事業戦略に関わるような提案をするチャンスもなかったと思います。当時の上司にアイデアとビジネスの構想を話したところ、経営会議で私自身が経営層に提案する場を作ってもらえ、参加した方たちから「素晴らしい!ぜひやろう!」と新事業への後押しをしてもらえました。
新たなチャレンジ
私の人生の目標は、変わらず「人財×テクノロジーの力で、より多くの人がリーダーシップを発揮しながら他者をエンパワーできる社会にすること」です。
自分の会社を良くしていきたい、こんな風に変えていけば面白いんじゃないか、というアイデアは皆さん持っていると思います。それを実際に行動に移して、提案してみると想像以上のサポートやフィードバックをもらえることを私自身これまでにたくさん経験してきました。
熱意は人を動かす力になりますが、思っているだけでは伝わりません。それを言語化して周りの人に伝える。社員一人ひとりがアイデアを実現するために積極的に提案し具体的な行動へ移していける組織を作っていくことが私の役割だと思い、まずは自らが実践するようにしています。
メディア掲載
最後に、このユニークなキャリアやライフスタイルをインタビューしてもらった記事をいくつか紹介します。
1.AKKODiSでインタビューしてもらった「HR Media」での社員紹介の記事
人財×テクノロジーで他者をエンパワーできる社会に。チェンジリードの挑戦。|AKKODiS(アコーディス)コンサルティング株式会社
2.夫婦の新しいライフスタイルについて取材してもらったシアトルの生活情報誌「ソイソース」の記事
プリンシパルプログラムマネジャー 吉田大貴さん、チーフオブスタッフ 吉田まみなさん | シアトルの生活情報誌「ソイソース」 (soysource.net)
3.夫と私のユニークなキャリアを紹介してもらったシアトルの生活情報誌「ジャングルシティ」の記事
「キャリアの可能性を広げる、7つの持論」 ITエンジニア・吉田大貴さん&吉田まみなさん – junglecity.com
4.双子育児とキャリアの両立を取材してもらった子育て世代に向けた「Sangoport」の記事
Sangoport(サンゴポート) | 【AKKODiSコンサルティング株式会社】自分らしいキャリアを実現する 特別扱いをしないインクルーシブな環境|働き方のサンゴ礁
コメントを残す